第17回CINEX映画塾-撮影監督・柳島克己トーク レポート
第17回CINEX映画塾が岐阜柳ケ瀬ロイヤル劇場で5月12日開催された。
ロイヤル劇場では昭和シネマ名作劇場と題して料金500円で様々な作品を上映している。
5月12日からは北野武監督の『ソナチネ』が上映されることに合わせて北野武監督作品の大半の作品で撮影監督を務める柳島克己さんをお迎えして上映後にトークショーを行った。
その様子の一部をお届けする。(聞き手・岐阜新聞社東京支社後藤支社長)
きっかけはアルバイト
後藤さん
「柳島さんは岐阜の高山ご出身なんですよね」
柳島さん
「今は合併して高山市になっていますが高山駅から車で10キロほどの清見というところの出身です。高校時代までそこで過ごして東京に出ました」
後藤さん
「『ソナチネ』をご覧になるのは久しぶりですか?」
柳島さん
「公開以来、このような形で映画館で観るのは初めてです。こんな大きなスクリーンでフィルム上映が出来るところはなかなかないですよね。」
後藤さん
「そうなんです。300人ぐらい入りますが今日も足かけ50年ぐらいのベテラン映写技師の橋本さんが上映してくださっています。」

柳島克己さん
後藤さん
「柳島さんは様々な監督の作品の撮影監督をされていますがどうして映画撮影の仕事を始められたんでしょうか?」
柳島さん
「元々写真の方のカメラマンになりたくて写真の専門学校に通ったんですが、写真をやるって思っていた以上にすごくお金がかかるんです。何種類ものレンズとか。新しいカメラをもう一台欲しいとか。それで何かアルバイトをしようと思ったときに友達に撮影助手をしないかと声をかけられたんです。映画のことなんか何も知らなかったんですが三船敏郎さんが社長の三船プロダクションで契約社員として始めました。それがきっかけで三船プロに10年いました」
後藤さん
「ではその頃から映画の世界に入られて」
柳島さん
「そうですね。ただその頃三船プロは映画製作はほとんどやっていなくてテレビドラマの製作をメインにしていました。三船敏郎さん主演の『荒野の素浪人』とか『大江戸捜査網』とか時代劇が多くて、映画をやり始めたのは後半ですね。ですが三船プロダクションには映画製作をしていたスタッフがいっぱいいました。黒澤組のカメラマン、照明の方とか稲垣浩監督の作品のカメラマンの方もいて、その当時の巨匠と呼ばれた監督と一緒に仕事されていた方達に師事していました」
後藤さん
「あの頃から35ミリフィルムだったんですか?」
柳島さん
「あの当時のTVドラマは16ミリフィルムで撮っていました。その後フリーの撮影助手になり、色々な映画作品に付いていて、角川映画なども7、8本やっています。『里見八犬伝』とか『探偵物語』の頃ですね」
デビューはあぶ刑事
後藤さん
「デビュー作は何だったんでしょうか?」
柳島さん
「劇場映画で言えば『CFガール』ですがカメラマンデビューはテレビドラマです。『あぶない刑事』シリーズなんです。あのドラマもフィルムで撮っています。劇場映画版は村川透監督が撮った3作目(『もっともあぶない刑事』)の撮影をしています」

北野組の撮影スタイル
後藤さん
「北野組に参加するきっかけは何だったんでしょうか?」
柳島さん
「北野監督は自分のスタンスを1作目(『その男、凶暴につき』)の時に主張されて。基本的に初めて映画を撮る監督の場合、ベテランのスタッフがつくんですが監督的に何かあったみたいで。2作目(『3-4X10月』)からは色々と意向を聞いてもらえる人をということで私にオファーが来たみたいです。北野組は武さんのテレビのお仕事もあって半年間ほどの拘束期間になります。」
後藤さん
「半年も。どうして半年なんでしょうか?」
柳島さん
「武さんの場合、映画の準備が始まると、出演しているそれぞれのテレビのレギュラー番組をその週に2週分収録して、次の1週間が映画撮影の週となります。なので映画の撮影が1週間置きになるんです。『ソナチネ』の場合は10日おきに撮影していました。撮影は主に石垣島でしていたんですがあの頃は石垣島に直通便がなくて沖縄経由で行くしかなく、移動だけで片道で1日取られました。1週間だと5日しか撮影出来ないので10日おきだったんだと思います」
後藤さん
「撮影はどんな感じで進むんでしょうか。よく北野組ではやり直しがないと聞きますが」
柳島さん
「北野監督はお笑いもやられています。お笑いって予定調和ではない。映画は本番をやり直せるけど舞台みたいにやり直しがきかないという、基本な違いを映画に活かそうというスタンスにあるようで、時にはセリフも決まってなかったりしますし、テストしてすぐ本番になります。本番は余程のことがなければ1発OKになります。俳優やこちら側が多少ミスしたとしてもOKになってしまうので現場での本番の緊張感がすごいんです」
後藤さん
「セリフが決まってないということは現場で決めたこともあるんですね」
柳島さん
「当時は台本に、そのシーン内容が書かれているだけで、細かいセリフのやり取りは書かれていませんでした。現場で監督がアドリブのように作っていく事が多かったです。シーンも急遽作られることも多かったです。
紙相撲設定は元々あったんですが砂浜でこんぶを土俵にした実際の相撲はあの場で考えたシーンでコマ落とし(低速度撮影のこと。スピード感ある映像になる)にすることも監督にあの場で言われました。実は海の側の隠れ家は牧場の中にブルドーザーで道を作って建てたセットなんです。撮影現場では牛が来たりもするのでカメラの後ろでスタッフが追い払ったりしてます。そういえばあんなにきれいな海があるのに監督は役者を誰一人海に入れなかったですね。感覚がやっぱり違うんですよ」
後藤さん
「柳島さんが監督に提案したところとかは映画にありますか?」
柳島さん
「花火での撃ち合いのシーンでは自分のアイデアです。実際に自分達が旅行したときにやったことが面白かったので提案して採用されました」
キタノブルーはどこからか
後藤さん
「いわゆる"キタノブルー"が出てきたのは『ソナチネ』からなんでしょうか。『キッズリターン』からなんでしょうか?」
柳島さん
「監督がブルーのトーンがいいと言っていたのは『あの夏、いちばん静かな海。』なんです。ラストシーンで晴天のシーンの予定が雨になってしまった。それでも撮影をしましたが、青い傘の色が顔に反射して当たっているところのブルーの色がいいねと言っていたんです。撮影も終わりがけだったのでこの作品では特には出なくて。「ソナチネ」の時は、まだ部分的にブルーの色調は出ていますが、キタノブルーが出るのは『ソナチネ』以降の「キッズリターン」からになっていきますね」
なぜ『HANA-BI』は撮影監督が違ったのか
後藤さん
「『HANA-BI』の撮影監督が柳島さんじゃなかったのはなぜなんですか?」
柳島さん
以前から「海外で映像の勉強がしたいと思っていて。その時の年齢が文化庁の海外研修制度に申し込める年齢制限の最後の年だったので応募したんです。通らなかったら『HANA-BI』も撮ろうと思っていたんですがその海外研修制度の応募が通ったのでオファーはいただいたんですがお断りして1年間イギリスに研修に行きました。代わりにアシスタントだった山本英夫を推薦したんです」
後藤さん
「でもまた柳島さんに戻ったんですよね」
柳島さん
「山本くんはその頃三池崇史監督と組み始めた頃で、イギリスから帰って来た時に、私はある監督と撮影をする予定でしたが、彼が三池さんとやりたいと言ったのでまた僕に戻ったわけです。でもこんなに長くご一緒出来るとは思っていませんでした」
距離を置いた方が色々言える
後藤さん
「監督とはプライベートでも交流はありますか」
柳島さん
「プライベートではあまりありません。たまにゴルフに誘われることはありますが、他は殆どないです。僕は俳優さんや監督とは距離を置くスタンスです。距離があった方がやりやすい。色々と言いやすい。撮影現場では監督の意向に基本的には従います。でもこの方がいいなと思う時はその事で話をします。でも最終的な判断をするのは監督です。今はデジタルカメラでの撮影だと現場でモニターを見ながらチェックも出来ますが、あの当時のフィルム撮影ではそれは出来なかった。「ソナチネ」に関しては東京に戻って現像してチェックするまでわからないので、撮影した映像が監督のイメージに合うように現場で話し合いをしていました。
再び撮影現場へ
後藤さん
「北野監督だからこその何かってありますか?」
柳島さん
「編集も北野監督がするのですが、この頃は普通の方の編集の感覚とは違っていました。北野監督の編集のカッティングの間は独特です。今は『18本撮ってるし俺も勉強したんだよ』って言っておられるように最近は変化して来ていますが、今でも撮影現場では北野監督は感覚が鋭くて常人が考えないことを発想されるのでついて行くのが大変です。僕らの仕事はそれらを映像化するという、ある種の職人的要素が必要で感覚的だけでは撮れない部分もある。それをどう表現するかという話はよくします。
後藤さん
「柳島さんはつい最近も中国やモンゴルで撮影されていますが今後の作品を教えてください」
柳島さん
「武さんやキアロスタミ監督に影響を受けている中国の監督からオファーをもらいまして内モンゴルに撮影に行って来ました。次回作はチャン・イーモウ監督の編集を担当している方が映画監督デビューされるのでその撮影の準備中です。中国は撮影のセットの規模がすごいです。中には野外のオープンセットの中に電車が走っていたりします。紫禁城の等倍スケールや大きな建物がある撮影所がいくつもあります。3月まで東京芸術大学で教鞭をとっていましたが、それがなくなったので現場を中心にと思っています。」

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