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『Yokosuka1953』名演小劇場上映会イベントレポート
2023/08/03
ドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』の上映会が7月29日(土)、30日(日)名演小劇場で開催された。
7月30日には木川剛志監督、ナレーションを務めた津田寛治さん、映画『天外者』製作総指揮で弁護士の廣田稔さんが登壇したティーチインイベントが開催された。その様子をお届けする。(進行:益田祐美子さん(平成プロジェクト代表))
廣田稔さん(以後 廣田さん)
「先ほど劇場の外で待ちながら緊張することはいいことだなという話をしておりました。皆さんと心置きなく自分の欠点を出しながら話をしようと思います。今日はよろしくお願いします」
津田寛治さん(以後 津田さん)
「この映画に大変たくさんの方が時間を割いていただけて、すごく嬉しく思います。僕自身この映画を観てからのトークですと、涙が止まらなくなって話せなくなってしまうので、今日は観ないままこの壇上に上がっております。先ほど劇場の外で皆様の拍手が聞こえたときに、皆様の心からの拍手が聞こえたと思いました。それがすごく嬉しかったです。今日はどうぞよろしくお願いします」
木川剛志監督(以後 木川監督)
「監督をいたしました木川と申します。僕のおじいちゃんが名古屋出身で駅前で扇子屋をやっていて、それから関西に行ったんです。それにおばが昔近所のCBCの前の横の通りで大文字飯店という中華料理屋をやっておりました。そんなこともあり名古屋に来てここで上映させていただくことをすごくありがたいと思います。ありがとうございました」
益田祐美子さん(以後 益田さん)
「この映画の製作のきっかけを教えてください」
木川監督
「2018年の8月に劇中にもありましたが、Facebookに僕宛でメッセージが来て。そのときはもちろん木川という苗字だけでシャーナはメッセージを送ってきたんですが、私は全く無関係でした。ですが、当時僕は大学教員で空襲の研究をしていましたので、戦災孤児については結構調べていたんですね。混血児の方々がこれほど大変な人生を送っていることを僕は知らなくて、その恥ずかしさもあって調べられるところまで調べようと。始めはテレビ局に委ねようと思って企画書を持っていったんですが、なかなか地上波では扱いづらい内容もありまして、取り上げてもらえなかったんです。バーバラさん側にはテレビ局が探してくれると思いますと言ってしまった手前、やっぱり期待してもらっていますから、やらざるを得ないということで調べ始めました。映画自体は観ていただいた内容通りなんですが、僕自身監督としてここにいるのが不思議で。僕は作ったつもりは全くなくて、勝手に出来たと思っていましたのでそういうところも含めていろいろとお話できればと思います」

木川剛志監督
益田さん
「監督は和歌山大学の教授なんですよね?」
木川監督
「はい。教授という仕事をやっております。仕事だけ増えていて給料は増えないという罰ゲームのような仕事をしております」
益田さん
「津田さんはナレーションのオファーをどういう感じで受けられたのでしょうか」
津田さん
「木川さんとは僕の故郷である福井で、福井駅前短編映画祭を一緒にやらせていただいておりまして。出会ってからもう何年にもなります。長い友人関係でありますが、その木川さんがずっと前から温めていらっしゃった企画というのは聞いていたんですが、ある時「ナレーションを津田さんにやっていただきたいんだ」とオファーを受けまして、親友の木川さんの頼みだから絶対やりますとお引き受けしました。最初のプロットを拝見したときに、僕自身もこういう混血の方で戦後辛い思いをされた人がいるということを初めて知りまして。これはちょっと難しいドキュメントなんだなと思ったんですが、映像を拝見したときに、何よりもバーバラさんのお人柄が本当に素晴らしくて、それに感銘を受けまして。だからナレーションをやるにあたって、あまりナレーションの存在感が出ないようにしたいという思いはすごくあったんですね。とにかくバーバラさんに寄り添う形のナレーションにしたい。また木川さんとバーバラさんの関係性というのが本当に素晴らしいなと思ったんです。木川さんとバーバラさんはそんなに会っていない、間もない状態なのにバーバラさんが木川さんを信頼しているというオーラが出ていたので、この2人のソシアルダンスというんですかね、それを絶対邪魔しないようなナレーションにしていきたいなと思いました」
益田さん
「廣田先生は木川さんとラジオでいろんなお話をされています。今、ミニシアターを維持していくのは大変だと思いますが、こうやって上映出来て先生としては何か心にこみ上げてくるものはありますか?」
廣田さん
「木川洋子さんと私は一つ違いです。私が上です。昭和21年、1946年生まれで77歳を迎えます。洋子さんのインタビューを見ていると、洋子さんの答えが監督が作ったシナリオに従って言っていたような気がしました。でも監督に聞いたら違うと。洋子さんが言っていることをそのまま記録したドキュメントですと。そこの偶然の一致性を見るときに、皆さんの涙を誘う映画になったんじゃないかと思っています。その涙が何であるかと考えると、洋子さんが淡々と生きてきた生き方を客観的に映すことが、木川監督のシナリオに繋がる。2人が打ち合わせすることなく、感動の筋を結び積んだのがこの映画だと思います。皆さんが涙した、拍手が起きたこの感動は何であるか。皆さんと一緒に考えることができればという意味で今日は来たんです」
津田さん
「廣田さんがバーバラさんより年上とは思えない(笑)。とてもはつらつとされていて。バーバラさんも若いんですけれども、やっぱり廣田さんも本当にこれまでどういう人生を送って来られたのか。廣田さんのドキュメントも見てみたい気がしますね」
益田さん
「いや、廣田先生のドキュメンタリーは難しいですよ。言ってはいけないことがいっぱいあります(笑)」
津田さん
「それこそ映画でやらないと。これもそうなんですが、地上波でやれないことこそ映画でやるべきなんですね」
益田さん
「木川監督、この映画の中で大変だった、辛かったことはありましたか?」
木川監督
「僕は、人と話すことがそんなに得意ではないんです。そこの場所にいる人に、「何々知りませんか?」と聞くことは僕にとってはなかなかできないことなんです。これが自分のために聞いていたら多分できなかったんですよ。でもバーバラさんのために、探さなければいけない から聞けたんです。一番しんどかったのは、今回お墓が見つかったんですが、お墓を見つけるときには、親族の方々とお話をしなければいけなくて、親族の方々はこういうことに関してはやはり外に出したくない、話したくないということがありました。その中で見つけ出すときにすごくきつい言葉をいただきながら、それでも話していったところかなと思います」
廣田さん
「こういう上映の機会を得ることに日本の映画界は苦労します。この映画を上映していただくことには益田さん、シー・ワークスさんの尽力があったから今日皆さんのパワーを得ることができたんです。映画を作ることは日本では年間700本程作るんですが、ほとんど日の目を見ません。劇場公開するときに大体1億から2億払えと言われます。それが一番しんどかったと思います。今回この劇場が協力してくれたから、こういう上映機会が出来たとなると、監督は非常に感謝するんですね。映画を作った監督が頭を下げてありがとうと言うような関係は良くないです。映画を観る我々が、1000円の入場券でも1500円もなく、2000円を実際に払って頑張れ!とエールが送れるような、そういう形の映画館作りをしていきたいんです。木川監督も大学の給料の中からお金を出して補って映画を作っているんです。苦しいんだけどそれはいい生き方をしているなと話しながら二人で酒を飲んでいるところです。ラジオでも話しています。大人は頑張ってこそ初めて健康になれる。苦しみ、悲しみは生きる証だとよく話しています。苦しみから逃れようとせず、苦しみは味わえという形を、この映画の洋子さんが体現しているのでびっくりします」

廣田稔さん
津田さん
「確かにその通りですね。僕もこの映画を見て、戦後辛い思いをした人はたくさんいて、僕らは戦後も味わっていない年代なので、その人たちの苦しみというのは、片鱗もわからないんですが、大切な人を亡くされていたり、お子さんを亡くした親御さんもいます。それは僕たち日本人が味わった苦しみで、分かち合える仲間がその時にいたと思うんです。「あのときは大変だったな。でもお互い頑張ったよね」と言える。同じ敗戦した仲間たちがいたと思うんですが、混血児の方々というのはそういう仲間が多分いなかったんだなと。日本でも虐げられ、バーバラさんはアメリカに行っても、養父から虐待を受け、とんでもない人生をその後も送るんですが、その辛さを誰にも共有して言える人がまるでいなかった。こういう状況で人はちゃんと生きていけるのか。自死してしまう人もいると思うし、自死されなかったとしても、世の中をネガティブにしか捉えられなくなって、時には犯罪を犯す人もいるかもしれない。バーバラさんはそのどれにも当てはまらず、全てを肯定してポジティブに生きてこられた。「絶対自分は笑顔でなければいけない」とおっしゃったそうです。なぜ笑顔でなければいけないかと聞いたら、「お母さんと会ったとき私が辛い顔をしていたら、本当にお母さんが悲しむから、いつもこうやって笑顔の練習をしているんだ」と言っていたという話を木川さんから聞きました。「いつも私は笑顔で生きてきた。絶対自分は笑顔でなきゃいけない」。そんな生き方があるんだと。バーバラさんから学ぶことが本当に多かったですね」
益田さん
「私は最近毎年5本ほど映画を作るんですが、どの監督と映画を撮るかが重要なポイントなんです。この人なら思いが共通しているので、いろいろやってもいいと思うぐらいの方と一緒に映画を作りたいと思っています。木川監督とは一緒に映画を作りたいと思いましたね」
廣田さん
「彼はよく知っています、I cannot without youではなくて、We cannot without us。個人的には人間は生きられません。それはわかっている寂しさがあって、自分で一生懸命仕事をしますが、いつも口では「自信がない」と自己顕示しています」
木川監督
「そういうところはあると思うんですが、バーバラさんも映画を作っているときにおっしゃったことは、「私自身の人生に誰も興味を持ってくれないと思っていたけど、いっぱい人が集まってくれて自分たちを見てくれた」と。僕自身もこの映画が出来上がって観た時に人に伝わるものとは全く思っていなかったんです。それが映画祭に出したら、いきなり海外の小さな映画祭ですが賞を獲って驚いて。ドキュメンタリーをいろんな方に観ていただいて、一緒に泣いていただけることがあって、自分自身としてはこれが皆さんに伝わったんだとちょっと驚きの部分が実は多いんです」
津田さん
「木川さんはドキュメントを作られたのは今回が初めてですか?」
木川監督
「初めてですね」
津田さん
「そうですか。僕も観ていて、これはわかりづらいなと。前半説明が多すぎて、お客さんがついてこないんじゃないかなとかいろいろ思ったんです。ドキュメントでも引き込まれるものというのは、そのドキュメントの中にドラマ性が含まれているというか。ここで盛り上げておいて、次に落として「あっ!」と思わせてというような構成になっているものも多いじゃないですか。そういう作品に比べるとドラマ性が少ないなと思ったんですが、公開された時に、たくさんのお客様が感動されたんですよ。誤解を恐れずに言うと、木川さんが初めて作ったこの作品、ドキュメンタリーの拙い部分もお客さんが許すんですよね。わかりづらいから観ないというのが今の風潮かと思いきや、こんなに多くのお客さんが例えわかりづらくても、そこに心が動くものがあれば、ちゃんと最後までしっかり観るし、観た後にちゃんと賞賛するし、涙も流すんだと。僕にとってすごく今回大きな収穫でした。やっぱりお客さんは神様なんだと。僕はいつも常々、お客様をコントロールするような映画よりは、お客様を神様と設定して、神様だったらこのぐらいわからなくてもわかってもらえるよなと思って、演じていますし、映画作りに参加しているんです。今回の映画は本当にお客様は神様なんだと再認識させられる映画でした」

津田寛治さん
廣田さん
「津田さんの言うお客様は神様の意味は、お客様を馬鹿にしたらいけないということです。本当に感動的な映画じゃないと感動しない。ここで感動しなさい、ここで涙流しなさいと作り上げられた映画なんか観たくないんです。それにはこの作品は合格していますよね」
益田さん
「告知も含めて、最後にメッセージをいただけますか?」
津田さん
「『首』という北野武監督の映画が公開になります。僕は初号試写で拝見したんですけれども、観て驚きました。『その男、凶暴につき』、『3-4X10月』、『ソナチネ』など、あの頃の北野作品を彷彿とさせるような出来になっています。でも予算で言ったら昔の10倍ぐらいかかった大作です。でも大作と言いながら、エンタメに振ってないというんですかね、より多くのお客様に観てほしいとかはまるで考えていないというのが、北野武監督らしいといいますか。とても刺激的な映画になっていますので、ぜひ観ていただきたいなと思います」
木川監督
「大学教員なので、和歌山空襲の体験者について、空襲後の戦後はどのように復興してきたかについて、インタビューを重ねるという仕事をしています。それが映画になるかはわかりませんが、記録として撮っています。実はこの作品のことがあった後にも混血で生まれて、お母さんがわからないという方の相談を受けたりしていますので、いろいろ探したりするということもしています。調査していく中で大学教員であっても、日本中の資料には見られない資料がいっぱいあったりするんです。今回の児童養護施設のデータをテレビ局が使用した後に再度改めて資料をくださいという話をしたら、「焼却処分しました」と言われるんですね。公の方に入っている人たちはこういうことを出すこと自体をすごく嫌がられて、歴史の何か大事なことを残すことを嫌がられるとか、隠す方はいっぱいいらっしゃるんです。これは僕は学術の敗北だと思っています。僕らがこれを残す必要があるということをちゃんと社会に出していって、大学教員としてそういうことをちゃんとやっていき、それを皆さんから見て大事だと思われるような教員としての活動、研究者の活動をやっていきたいなと思っています」
廣田さん
「歴史を大事にするということを木川監督はおっしゃっています。映画館が育んできた歴史を何とか繋いでいきたいなと思っていまして、今日壇上にいる4人で誓い合いました。映画を観た後、こうやってディスカッションする時間を設けて、皆さんから質問を受けて、そして感動を感情だけではなく言葉にして持って帰って、今日の映画はよかったよと家族に話す。西田幾多郎先生の受け売りになりますが、僕らは感動という言葉を生まれながらにして、親からもらっている。感動を受けるための教育はありません。感動だけは神様がくれた能力です。それを神の内在証明と言います。拍手してくれた方の感動を言葉にして持って帰る。ここが良かったと言葉にして皆さんに持って帰ってもらって伝えることがなければ、映画という文化は発展しません。金にならなくても、我々の感動を子供や孫に伝えるために、単館系映画の上映会をずっとやっていこうと思っておりますので、是非皆さんのご助力をいただきたいと思います」

上映会後に
左から津田寛治さん、廣田稔さん、木川剛志監督、益田祐美子さん
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