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映画『逃走』足立正生監督インタビュー

2024年1月、日本で驚きのニュースが報道された。

末期がんで入院した男は、自身は指名手配犯の桐島聡だと名乗ったという。それから4日後、警察に全てを話すことなくこの世を去った。

誰もが日本にはいない、またはもう死んでいるかも知れないと思い、気にもしなくなっていた笑顔の指名手配犯、桐島聡。

©「逃走」制作プロジェクト2025

©「逃走」制作プロジェクト2025

49年、半世紀に及ぶ逃亡の末に孤独に亡くなったこの男は、東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー。

「偽名・内田洋から桐島聡への回帰、そこには多くの謎があり、逃亡生活の終焉と自らの死を予感した“革命への確信”、その証は映画でしか描けない」

自身も日本赤軍を創設、後に国際指名手配された経歴を持つ足立正生監督が、桐島聡のメッセージを映画で問いかける映画『逃走』が3月29日から名古屋シネマスコーレで公開される。

足立正生監督に映画、製作に至る経緯・構想について伺った。

Q.以前インタビューで、表現者や作家の主体性というテーマに対して、ものを作る、発信するということ自体がすでに運動体であり社会的行為であるから作家イコール運動家と考えなければいけないとお話されていましたが、今もそう考えていますか。

足立正生監督(以後 足立監督)
「40年ぐらい前からそう言っています。今でも同じ考えですよ。映画は観客に観てもらって初めて成立します。映画という記録があるだけでは成立しません。人とのセッション、コミュニケートの中でしか存在しないという意味も含めて、全て運動的な存在、概念だと思うんですね。なおかつ作り手側は、基本は生きている時代と向き合った自分がどういう世界観を持っているのか、そういう世界に対してどう向き合うのかというようなことが表現の基本に問われます。でも発するメッセージ性の高さ低さは観る側の人が勝手に決めることができる。そういう意味であくまで作る側は作家という意識にはとどまらない、運動的な存在としての映画と共闘している意識を持たないとダメです。1970年代の頃からそう言っていますから、50年は経っているわけですね。その考え方は大きくは変わっていないつもりです。30年ほど"海外に行った"時代も含め、どのぐらい自分が成長したのか後退したのかわからないので、作った映画を観てもらって決める以外ないと思い続けています。私は85歳ですが、まだ青年のつもりで、実に楽天的に生きています」

©「逃走」制作プロジェクト2025

©「逃走」制作プロジェクト2025

Q.安倍元首相の襲撃事件から『Revolution+1』、桐島聡氏の死から『逃走』。事件発生から映画を完成、公開まで2作品とも非常に短い期間でしたが時代に向き合った作品が続いた経緯について教えてください。

足立監督
「映画が持っている機能としては、ドキュメンタリーであれフィクションであれ、事実や実態を撮影してしまったら、もう情報化しているわけです。情報にとどめるのではなく、事実の奥にある真実性、テーマ性に迫るための作業を経て映画にする。安倍元首相を山上が撃ったのはなぜか、桐島聡が死の直前、本名をわざわざ名乗ったのはなぜかというような問題提起はできるだけ早くする、即時性を生かすことが重要なんです。そういう意味で僕の心を揺さぶった作品が2本続いたなと私も思っています」

Q.桐島聡の49年間。最後に本名を名乗った彼の死ぬまでの姿を描いていますが、どのように足立監督は捉えたのでしょうか。

足立監督
「桐島聡は49年間逃げ通した。ステージ4の胃がんで死の淵にいる時に、なぜわざわざ本名を、「桐島聡です」と名乗ることをしたのか。これはよく考え直してみないといけません。本当の彼の意志はどこにあったのか。49年も逃げて、自慢げに自己顕示欲で名乗ったわけじゃないです。49年も逃げるこの苦しさを自慢するわけがないと思う。これは何かを訴えたかったんだろうと。追い詰められ、桐島という存在を消しながら偽の名前で、抽象的な存在で生きて戦ってきたのに、そのまま死ななかった根拠は何なのか。重要なことをメッセージで残そうとしたんじゃないかと。つまり彼が逃げるということを戦いにした時から、「狼」による三菱重工ビル爆破事件で、大量殺傷の責任も担うという気でやってきた中で、自分の死に際して、逃げたり、亡くなったりした人、謝りたい相手に、広い意味の表現として出したかったのだろうと。「狼」のチーフである大道寺将司は死刑に直面しながら、俳句の中で贖罪についての思いを延々と読み続けました。でもその中に同時に自分たちが間違ったとはいえ、なぜ連続企業爆破をやる必要があると思ったのか。それをやらない限り、アジアの人々の贖罪にもならないし、このデタラメな日本を変えることにもならないというキャンペーン闘争をしただけで、革命の第一歩だとかそういうオーバーなことは彼らは考えていなかったこと、深い贖罪と死の淵に立ちながら戦いへの思いが断ち切れないことをちゃんと俳句で読み続けているんですね。そのことに桐島は気づいて、自分が死ぬときにどうするのか、自分もそういった戦いの表明をやりたいと思ったんだと僕は推測、判断しました。本名を名乗った根拠はそれであり、桐島が犯罪者として逃げる中で戦ったこと、どうしてもメッセージにしたかったという思いを、映画にしようじゃないかということで制作したわけです」

足立正生監督

足立正生監督

Q.足立監督は桐島聡のことをご存知でしたか?

足立監督
「私は30年やりたいことをやるために"海外に行って"好き勝手にやっていたんですね。彼は内田という偽名で、日常生活はそれを実体にして生きている。桐島聡という実態を消しながらずっと戦っていた。比較すると問題にならないぐらい非常に辛い、苦しい戦いを桐島はやったと思っています。僕は桐島を知らなかったんです。強制送還された時に「どうせ桐島もそっちに行ってるんだろ?」と言われましたが「桐島って誰ですか?」と。僕が日本からいなくなってから、三菱重工爆破事件があって、そのあと「さそり」というグループができるので、知るわけがないんですよ。次に桐島と聞いたのは彼が死ぬ直前。「え、まだ生きてたの?」と。49年逃げながら普通ならそのまま死ぬことが彼の任務じゃないかと思うんですが、わざわざ本名を明かすというのは、これはもう切ないです」

Q.闘う意味でも逃げる意味でも闘争劇でした。古舘寛治さん、杉田雷鱗さんが体現されて、好演されていたと思います。現場で古舘寛治さん、杉田雷鱗さんとはどんなやりとりがあったのでしょうか。

足立監督
「50年前の若者で、本当はバンドをやりたかった青年が、自分の思いから企業爆破闘争を行った中で逃げざるを得なくなって逃げていく。当時の現実は捉えにくいかと若者の杉田さんに聞いたら、「いや、今も息苦しい世の中だから、そこはわかりますよ」と言ってグンと役に入ってくれました。僕は元々演技指導したりしません。古舘さんに対してもそうです。だから君たちのやりたいようにやってくださいという中で、杉田くんはまさに望んでいた一本気で、実にモラリスティックな青年像を演じてくれたなと。古舘さんもシナリオが面白いと言ってくれたので、「じゃあやろう」と呼んだら、「監督と2人きりのセッションをやってもらってから決めたい」と言うんです。実際のセッションには、最初から最後までびっしりと色々台本に書かれていて。「これ、全部セリフを書き直すのか?」と聞いたら「いや、これは書き直したものではなくて、こういう考えで、こういう言い方でやりたいと話すためにやったものです」と言うんですよ。そこに杉田さんも入って青年期と壮年期とどう一本化するかや、立ち居振る舞い、眼鏡の扱い方、それらが共通の癖になればいいんじゃないかと入れ込んだ者同士で自由にやってもらいました。今回はセッションを重ねながら楽しくやれましたし、結果的に2人とも喜んでくれるような完成のさせ方にはなったかなと思います」

©「逃走」制作プロジェクト2025

©「逃走」制作プロジェクト2025

Q.作品全体に流れるジャズセッション、音の使い方が素晴らしいです。山下洋輔トリオの当時の音源を使われているそうですね。

足立監督
「あれは早稲田大学をバリケードで閉鎖している中でライブをやったものなんです。「DANCING古事記」という1970年代の若者たちの意思みたいなものを彼らがいたバリケードの中で録ったものなので、それは時代を象徴します。無理を言って音源を見つけてもらって使いました。他の音楽は大友良英さん。今回は重たい音楽はやめようと話しました。「DANCING古事記」からスタートして彼の日雇い作業をしながら逃げることに精一杯というところから、安定していくまでの間は楽しく描こうと。もう逃げる追うというゲームから突き抜けたところに来て、戦ったというメッセージを出しているので、そこでは軽く楽天的に歌うんじゃないかということで、そのイメージで演奏してもらっています。サックスを担当した坂田明さんも喜んでやってくれました」

Q.桐島が内田として、音楽に乗って踊ったり、歌うシーンも印象的でした。

足立監督
「親しくしたら迷惑がかかるから全部自制しながらやっていますが、そういうことから一種自由になれたのは音楽が関連した部分だけなんですよね。元々好きなフォーク、ロックとか実際に桐島はライブで何度も演奏していたりするから、古舘さんに時代を象徴する「山谷ブルース」をやろうと話したらギターを練習してくれたんですよ。「山谷ブルース」を演奏しながら5番まで歌ってくれました。でもカメラはずっと寄っていって顔だけ映していて。「せっかく俺が全部5番まで歌っているし、ギターも正確に弾いているのに、なんで映らないんですか」と古舘さんに言われましたが、「いや、それはいらないんだ」と(笑)。でも完成した作品を試写で観て満足していましたよ」

Q.古舘さん、杉田さんは自分自身ともすごい時間向き合っていたかもしれませんね

足立監督
「テーマ性との葛藤とか、面白かったでしょうね。古舘さんが「言いにくい」とか言ったら、杉田さんが「こっちじゃないですか」と切り返し提案したりする。そういうのは面白いでしょ。セッションのいいところですよね」

Q.現場自体がセッションした中で出来上がった作品なんですね。

足立監督
「その楽しさが反映している内容になってればいいなと思います」

Q.現代社会、いろんなことが起きて、まるで足立監督にこのテーマで撮ってくださいよと言わんばかりの事件が次々と起きている気がします。次回作の構想がすでにあったりしますか?

足立監督
「次回作の構想はありますが、また何か起きたらそんなのは全部捨ててそっち側に飛びつくに決まってるじゃないですか!だから言えないよ!(笑)」

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映画『逃走』https://kirishima-tousou.com/ は
全国順次公開中。シネマスコーレでは3月29日(土)より公開。
舞台挨拶も予定されている。

舞台挨拶情報

3月29日(土) シネマスコーレ
時間:①13:25 の回上映後 ②15:50 の回上映後
登壇:足立正生監督 (予定)
※舞台挨拶後サイン会開催予定

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