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ロイヤル劇場思いやるプロジェクト 35ミリフィルム上映 大林宣彦監督『ふたり』石田ひかりさん、大林千茱萸さんトークレポート

ロイヤル劇場思いやるプロジェクト 35ミリフィルム上映 大林宣彦監督『ふたり』がCCI株式会社協賛で12月23日、岐阜柳ケ瀬・ロイヤル劇場で開催された。

上映後のトークには俳優の石田ひかりさん、大林宣彦監督の娘の大林千茱萸さんが参加。その様子をお届けする。

岐阜新聞社 後藤さん(以後 後藤さん)
「この企画はロイヤル劇場が1977年にオープンして以来、47年を過ぎて本当に老朽化が激しくなっております。実は、ここのスクリーンも緞帳が閉まらなくなっていたりとか映写機も故障すると古い機種なものですから、代替がなくて明日から上映ができなくなるかもしれないという状態です。岐阜新聞映画部としてはロイヤル劇場をなんとか日本のこの柳ケ瀬商店街にずっと残していきたいという思いで9月22日に「ロイヤル劇場を思いやる」という形でクラウドファンディングを立ち上げさせていただきました。35ミリフィルムの専用商業映画館は、日本全国でこのロイヤル劇場だけとなりました。岐阜の柳ケ瀬が誇る財産だと考えて、私どもはぜひ皆さんと映画人の方のお力も借りて、このロイヤル劇場を残していきたいという運動をずっと続けていきたいと思っております。大林宣彦監督の作品をぜひ上映したいということを事務所の方にお伝えしたところ、本当に快く上映を承諾いただきまして、先週から『青春デンデケデケ』という名作とこの『ふたり』を2週間続けて上映しております。 今日は大林監督の娘である大林千茱萸(ちぐみ)さんと石田ひかりさんに岐阜まで来ていただいております」

大林千茱萸さん(以後 大林さん)
「皆さん、こんばんは。本当にたくさんの人にスクリーンに向かって映画を観ていただいて、ありがとうございます。フィルムの上映は、多分公開の時以来だからしばらくぶりなんですね。フィルムを保管しておいてよかったなと思っています。このフィルムは缶で、何缶もあるんです。デジタルみたいな1枚と違ってロールチェンジします。 上映していた画面の隅に白丸と黒丸が出て、それがちょうどロールチェンジの合図なんですよね。私なんかも古い人間なので、今日久しぶりに観てフィルムならではのこの感じ。監督、本当にすごいよ。なんかちょっとフィルムの感動が濃くて、始めからちょっと感極まってしまってすいません。今日は皆さま足を運んでいただいてありがとうございます。ひかりちゃんもクリスマスプレゼントで連れてきました」

大林千茱萸さん

大林千茱萸さん

石田ひかりさん(以後 石田さん)
「皆様、メリークリスマス。 本日は本当にお集まりいただきましてありがとうございます。自分の出演作品を観て泣いたりすることはほとんどないんですが、この作品は私にとって本当に特別な作品で、後ろの方で今一緒に観ていたんですけれども、所々でぐっと来るところがあり、 そして何と言っても監督の最後の声に号泣してしまいました。今日はこの映画にまつわるお話を皆さんと一緒にしていけたらと思います。短い時間ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

後藤さん
「ありがとうございます。私も一緒に観させていただいて、泣きました。後半ドラマの叙情感、重厚感がものすごい勢いで出てきまして大林宣彦さん独特のいろんなものが染みな込んでくる。特に今回は「草の想い」という名曲のリフレインがある。この演出はすごいなと本当に思いました。振り返っていかがでしょうか」

大林さん
「まさか当時はね、映画監督も色々やるけれども、まさか歌う監督が出てくるとは(笑)」

後藤さん
「最後に歌っているのは、大林監督なんですね」

大林さん
「そうです。久石譲さんと一緒に。有名な話ではあるんですが、普通こういう映画は、(中嶋)朋子ちゃんだったり、ひかりちゃんだったり、女優さんがキラキラして歌うというのが、アイドル映画と言われる、当時の80年代のスタイルだったわけですし、それの最たるものが『時をかける少女』の原田知世ちゃんだったりするわけですけれども。 ひかりちゃんと朋子ちゃんが映画の中で本当にこの役を生きて、本当に役をそのままの気持ちで当時生きてくれたことが、本当に素晴らしくて。もうオヤジ2人はすることないねという話になって。久石譲さんも本当に素晴らしい曲を書いてくださって、応援ソングとして、2人で歌おうかみたいな話になりました。当時「ザ・ベストテン」という番組があって、 割といいところにランキングされていました」

石田さん
「素敵ですもんね。私が最初にデモテープをいただいた時は、監督が歌っていらっしゃったのかな。その時から、監督がお歌いになればいいのにと思っていて、劇中でもいろんな人が歌って、もちろん私もレコーディングをしたんですが、 やっぱり監督も「この映画の中では、ひかりは実加として終わった方がいい」と言われて、私は歌うことはなかったんですけれど、監督の声が最後に聞こえることが、もう本当にたまらないですね。ぐっときます」

左:石田ひかりさん

左:石田ひかりさん

後藤さん
「この映画は、ひかりさんは、オーディションで選ばれたんですか?」

石田さん
「後から思うと、あれがオーディションだったんだなという結末なんですが、ずっと大林組に入られていた岡野さんというメイクさんがいらっしゃって。 私は監督の映画に出させていただくまでアイドルをしていたんです。その時にこれもご縁だなと思うんですが、あるプロモーションビデオみたいなものを作った時のメイクさんが、岡野さんで。その岡野さんが「監督があなたぐらいの年齢の子を探しているから、ちょっと監督にお話してみるわね」とおっしゃってくださって。そこからほどなくして監督と、奥様の恭子さんにお会いする機会がありまして、小一時間ぐらい喫茶店でお話をしました。その時は本当に他愛のない、生い立ちなどの話をしてお別れしました。私は誕生日が5月の末なんですが、その頃に自宅に大きな花と「実加へ」というお手紙が届いて、この映画のお話だったんだということが、その時に分かったという。思えば喫茶店でのお話がオーディションを兼ねていたのかなと」

後藤さん
「そうですか。この映画は本当にヒットもしてその後、石田さんは映画新人賞総なめというような形になりました。反響はすごかったんじゃないですか」

石田さん
「そうですね。おかげさまで、本当に様々な映画祭に呼んでいただきました。あれから33年経っているんです。あの時、私は高校3年生ですから、そこから33年経って、またこうして呼んでいただけるということが、本当に私の財産です」

後藤さん
「キラキラ感は変わらないなと思います」

石田さん
「時が経ちました。本当に皆さん若いですよね、(岸部)一徳さん若い!(笑)。私も人のこと言えないんですけど、わかちゃん(島崎和歌子)とかも。(中江)有里ちゃんとこの間一緒にご飯を食べたんですよ。多分この映画以来です。でも、有里ちゃんも全く変わらない。有里ちゃんと私は1歳違いらしいんです。有里ちゃんが1個下みたいなんですが。彼女は夫婦揃ってすごいタイガースファンで、うちの夫もそうなんです。それで、これは祝勝会をやらなきゃねと言って、 4人でご飯を食べました。彼女自前のタイガースグッズを持ってきて、かぶったり巻いたりして、 一緒にお写真を撮りました」

後藤さん
「竹中直人さんとかは変わらないですね」

大林さん
「先日西世田谷のカフェで、夜11時ぐらいか、12時ぐらいかにご飯を食べていたら、 竹中さんが入ってきて。会うとなんか時を飛び越えるというか、全然根っこは変わっていないですね。「また監督とやりたかったね」みたいな話をして別れました。今、ひかりちゃんが33年ですよと何度も言って、変わってないねとも言いましたけれども、有里ちゃんも、(柴山)智加にしても、ひかりちゃんにしても、みんな当時から自分がちゃんとあるから、そのまま映画は終わっても、役は終わっても、ちゃんと自分を生きているから、そのまま変わらないように思えるだけなんです。映画の中でその時を生きているんだなと、今日改めて観てすごく感じました。「オーディションだったのかも」という話でしたが、あの日監督はお家に帰ってきて、 私に「実加に会ったよ。実加がいたよ」と言ったんですよ。ひかりちゃんから聞く話だと、世間話をしただけ。役柄についてなんとかではなくて、 自分がこういう風に生まれて、こういう両親がいて、こういう家族で、自分はこういう風なことが好きでというのを話しただけですが、大林監督にはそれが必要で、ひかりちゃん本人がどういう風に生きてきたかを知ることで、そこに実加がいると思ったんだと思うんですね。監督はひかりちゃんに実加を重ねて「実加がいたよ」と言ったんだなと。33年経っても、そこはぶれてなかったんだなと。本当に智加にしても当時から本当に変わらないので、監督にもみんなあのままでここにいるよと伝えたいですよね」

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後藤さん
「大林監督はひかりさんのことは、実加さんという言い方を普段もされてたんですか?」

石田さん
「そうですね撮影中や終わってからも会うとぎゅーっと抱きしめてくださって「実加」と呼んでくださいました。『はるか、ノスタルジィ』でもお世話になっているんですけれども、その時は「はるか」と呼んでくださっていました」

後藤さん
「千茱萸さんにどうしてもお聞きしたいんですけど、昔の16ミリ作品を観ると、千茱萸さんは小さい頃からお出になっていて、千茱萸さんを捉えている映像から監督は本当にお優しいというのが、どのフィルムからもにじみ出ているんですが、やはりそんな感じのお父さんだったんでしょうか?」

大林さん
「そうですね。生まれる前から、母恭子さんのお腹の中にいた時から、映画の現場には参加していました。 なので、自主映画の頃は、私が2歳とかで、1歳半ぐらいが1番最初のスクリーンデビューなんです。恭子さんと監督とずっと笑い話だったんですが、「あなたの背がちっちゃいのは、ミルク代がフィルム代に変わったからね」と言っていたぐらいです。ずっと家族で映画を作ってきていて、本当に一卵性双生親子と言われて、通じるところも多かったし、うちはとにかく母恭子さんと私と監督が、大林映画らしい映画を撮るために、 どうしたらより良くなるだろうということばかりを考えて、家族で映画を作ってきたこともあって、 世間話というよりかは、お家でご飯を食べていても、「あの映画のここが良かったよね」とか、「この人すごいね、監督の映画に合うような気がするよね」と話していました。大体私がキャスティングや音楽を担当することが多かったので、「この人が会うと思うね」とか、 「この人いいんじゃないかな」とかとにかく映画のことばっかり話していて。そういう意味では、声を荒らげた喧嘩みたいなことはないけれども、その代わり、お互いに我が強いので、納得するまでずっと朝まで喋り続けてお互いに議論する。本当にちっちゃい頃から鍛えられていて、ちっちゃい時はとてもそんな議論なんてできなくて泣きながら、「私はこう思うんだけれども、それはパパが間違っているよ」みたいなことを言っていました。でも、向こうは向こうで、私が子どもだからって子ども扱いはしたことは全くなかったです。映画を観るにも大人の映画、子どもの映画とかわけ隔てなく。3歳の時に『男と女』を観て、ラブシーンが多い映画なので、私が帰り道で、監督と恭子さんに、チュチュチュ、チュチュチュとして。なんかこの子愛想がいいねと思ったら、映画の影響だったみたいな(笑)。映画と現実がごっちゃになることはよくありましたけれども。本当に映画のことばかり話していました」

後藤さん
「監督は現場でも演出指導はやはりお優しいんですか?」

石田さん
「そうですね。私も監督が声を荒らげたり、イライラしたりしているところは1度も見たことがないです。大林組では監督が1番睡眠時間が短くて、1番働いている時間が長いと言われているんですね。本当に実際そうで、セリフも毎日変わるんです。朝起きると、ホテルのドアの下から新しいセリフの差し込みが必ずあるんです。しかもその日に撮るものが入ってきて、それは毎日ほぼ変わっていきます」

大林さん
「これは家族以外あまり知らないんですけれども、次の日の撮影の分の台本をすごい丁寧におさらいするんです。 台本のおさらいをするところから始まって、それまでに撮ってきたもちろん順撮りというその台本の1ページ目から最後までを順番に撮っていくわけではなくて、大林映画をたくさん観てくださっている方だったら、お分かりでしょうが、今日は2ページを撮るけど、明日は98ページで、明後日は3ページを撮る。頭の中はどうなっているんだろうというような撮り方をするんです。しかもシーンの中でも同じ日にカット全てが撮られなかったりとかもするので、そういう中で、おさらいをしています。よく辻褄の合った夢とか嘘から出た真とか言っていたんですけれども、辻褄を合わせるということをおろそかにはせず、最後まで粘り、諦めない人でした。監督は全部手で絵コンテも書くんですけれども、ちっちゃい字で差し込みの字が読めなくて。読めましたか?」

石田さん
「読めました。ちょっとアニメチックというか、マンガチックな絵なんですけれど」

大林さん
「そうそうそう。先週まで私は尾道で監督のものとかを片付けたりしていたんですけれども、ちょうど『ふたり』の絵コンテもいっぱい出てきまして。その絵コンテがすごい面白いんですよ。今度何かの機会があったらスライドとかで流しながら話したいですね。前半、白い服を着た男(頭師佳孝さん)に実加ちゃんが襲われるところなんかも、全部、小回りが書いてあって、あれだけ撮っても、アニメになるんじゃないかなというぐらい書いてあって、本当に皆さんにお見せしたいぐらいだし、『ふたり』のパンフレットも夏休みのひかりちゃんたちの、高校生とか中学生の夏休みの絵日記みたいなパンフレットにしたいと言われまして、私が作っていたんですけれど、スナップ写真をいっぱい撮って、パンフレットにも入れました。そのスナップ写真も、段ボールで取ってあったのが全部出てきて、時間を飛び越えてきた感じで」

後藤さん
「今日実は劇場でも販売しております。ちょっと数に限りはあるんですが、大林事務所様から当時のパンフレットをご提供いただきました。当時のものを私も改めて見せていただいたんですけども、 ほんとによくここまで凝ったというか、濃厚な取材も含めてやられたなと。当時、1991年で当時10万部売れたとか」

大林さん
「実際は8万部ぐらいですが、そんな売れたパンフレットは過去にないです。私は『北京的西瓜』から大林映画のパンフレットをずっと作ってきました。映画を観て、映画館でパンフレットを買って、 お家に帰るまで読み終わらないというのがテーマで、東京の映画館で観てもらって、名古屋ぐらいまでは読み終わらない感じで作っています」

後藤さん
「最近、結構凝ったパンフレットもよく見るようになりました。それの最初にあたるぐらいですよね」

石田さん
「今でも舞台やイベントの後によくこのパンフレットを持って「サインください」と声をかけて下さる方が今でもたくさんいらっしゃいます」

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後藤さん
「ポスターやパンフレットのビジュアルになった野口久光さんの絵が素晴らしいですよね」

大林さん
「うちには野口さんの『ふたり』と『青春デンデケデケ』の原画があるので、原画の迫力もいつか皆さんに見ていただきたいです」

後藤さん
「この映画も、尾道三部作の第一作という風に言われておりますけれども、やはり大林監督にとって尾道というのは映画になくてはならない舞台だと思うんですが、この前、ひかりさんのInstagramでも実加の思い出の電信柱のところで写真が上がっていましたよね?」

石田さん
「それを撮ってくださったのは、千茱萸さんです」

大林さん
「5年ほど前に尾道映画祭というのがあって、そこで、『ふたり』を上映して。その時はデジタル上映だったんですけれども、終わった後に、ロケ地巡りをしてみようかと言って。あの電柱のところも、まだ登れるんです。私がよーいスタートとカットを言って。今でもできるかなと無茶ぶりしちゃったね(笑)」

石田さん
「何度もやりました(笑)」

後藤さん
「今日も岐阜に来られて、赤いじゅうたんをご覧になって」

石田さん
「もうびっくりしました。商店街にレッドカーペットがある!歩かなきゃって。素敵ですね」

後藤さん
「昔、映画館が11館、そこの並びにあったので、劇場通りと言われています。ですから、歩いていただいて、ちょっと映像を撮らせていただいたりとかしたんですが、やっぱりテンションが上がるものなんですか?」

石田さん
「はい。上がるものです。赤いものを見たら歩かないと!(笑)」

後藤さん
「千茱萸さんが大林監督の劇場用作品でデビューされたは『HOUSE』ですよね。あれが1977年の映画で、ここロイヤル劇場できた年なんです。あの時千茱萸さんは10歳ぐらい?」

大林さん
「そうです。思いついたのは10歳で、映画ができたのは12歳でした」

後藤さん
「千茱萸さんは原案でクレジットされていますね」

大林さん
「そうです。大林監督の生まれたお家が尾道にあるんですけれども、そこには古い井戸だったり、背の高いところにお布団が入っていたり、古いピアノがあったりして、 私はちっちゃい頃両親は映画を撮っていたので、祖父母の家であるその家に預けられるというか、夏を過ごすことが多かったんですが、井戸とか怖いわけですよ。井戸から生首が出てきたら怖いとか、おばあちゃまの使っていた鏡台の鏡に自分が映ったら怖いとか、小さかったから、お布団を降ろそうと思ったら、自分に上からばーっと襲いかかってきたりとか。ちょうど1977年は『JAWS』でスピルバーグ監督が出てきた時で、日本の映画が斜陽と言われていた時です。みんな子供たちもハリウッドの映画を観に行く、日本映画を観ないという時代だったんですけれども、そんな時に監督はその頃コマーシャルを撮っていたんですが、誰も見たことのない映画を大林さんだったら撮ってもらえるんじゃないだろうかというお話が東宝の松岡さんから来まして。大林監督からどんな映画が観たいかと聞かれました。私が見たい日本映画がないから、私が見たい日本映画を作ろう。じゃあ、どんなのがいいかなと。「今の洋画は全部生きているものが襲ってくるので、 井戸とか鏡とか布団とか家とか、生きていないものが襲ってくる方が怖いよ。生きているものが襲ってくるのは当たり前じゃん」と。子供だから言っちゃったみたいな感じで、監督もそうですが、東宝の社長さんとか、みんな子どもの言ったことだと馬鹿にせずに、それは思いつかないから、 思いつくことはどんな考えでもヒットしないから、思いつかないことを映画にしてもらおうということであんな映画ができたんです」

終演後、ロイヤル劇場客席で

終演後、ロイヤル劇場客席で

後藤さん
「お父様が娘さんにどんな映画なら怖いとか、そんな風に聞いて、映画が実際出来るなんてすごい素敵な話ですよね」

大林さん
「ですよね。本当に家族で映画を作っていましたから。それの最初の1歩が『HOUSE』だったかなという」

後藤さん
「このロイヤル劇場で、ぜひ今後も大林監督の作品を色々上映できたら本当に嬉しいなと思っております」

大林さん
「もうちょっとフィルムを保管しておきます」

後藤さん
「フィルムの状態が『ふたり』も『青春デンデケデケ』も素晴らしかったです。本当に嬉しいです。フィルムの味わいって、独特の色気があると思います」

大林さん
「そうですね、私もデジタルで観ていた時とは違うところですごく泣けてしまって。今日ここから座って見ると、映写窓が2つ見えるんです。映写機があるところって2つの映写機でロールチェンジしながら上映するんですよね。デジタルでは絶対ありえない、この微妙な揺れ。画面がちょっと揺れているんですよ。デジタルにはない、フィルムだけしかない揺れ。魂があるというか。 あとは黒み。暗いじゃないですか。今はよく映りすぎてしまって、毛穴まで見えちゃうんです。光と影という映画の持っていたスタイルが今もこうやってスクリーンで、デジタルでもかかりますけれども、本来のむき出しの魂の姿、これはフィルムで撮られたものなので、フィルムで撮られた時代のものに、その本来の姿に今日は戻してあげることがこの劇場と、皆さんの応援の力を借りてできて、すごく映画が喜んでいるなと感じました」

後藤さん
「撮影時のエピソードをお聞きしたいです」

大林さん
「大林映画の特徴かもしれないんですが、 映画の中でその時を生きてしまっているので、日常を一生懸命生きているという感じがあって、面白いエピソードが突出してあるとかはなく」

石田さん
「無我夢中で駆け抜けた1か月半。ほんとに夏休みだったんです。尾道で撮影が始まって、みんな期末テストがあるので、夜行で東京に一旦戻って、また尾道に戻って。本当に8月いっぱい全部を尾道で撮影していたという高校3年生の夏でした」

後藤さん
「その時はホテルに泊まったんですか?」

大林さん
「はい。みんなで合宿です。必ずホテルの中の1室の1番大きいところをスタッフルームにさせてもらって、そこに冷蔵庫とかコピー機とかを置かせてもらっていました。冷蔵庫はみんな自由にスタッフとかもビールを飲んだりとか、自分の私物を入れていました。若い子達はヨーグルトとかプリンを入れたりしていました。富司純子さんは今でもそうなんですけれど、本当に女優さんとして素晴らしいし、奥様でもありますし、家業を支えていらっしゃる。いろんな生活者という言い方が生きた方なんです。泊まったり、帰ったりと出入りが多かったんです。 でも、出入りする度に、「監督はこれ好きかしら」と言って美味しいお土産を冷蔵庫にちゃんと入れてくださったりしました。普通は出番のない時は皆さん他のお仕事もありますし、行ったり来たりするんですが、この時代はまだ色々といい時代で出番がなくても、2、3日だったらどうぞ滞在してくださいみたいなことも言っていて10日ぐらいいる人もいたんですけど(笑)。その中で、富司さんはまるでお母さんが娘たちのご飯の心配をするように映画のスタッフのことを気遣ってくださって、「お魚がそこで売っていたから、いいお魚だったから、今日は煮付けにしちゃいます」と言って作ってくださったり。この人、本当にお母さんなんだと思っていました。増田恵子さんも、あのシーンだけのために尾道に来てくださって。小樽の女(笑)。まさか小樽で『はるか、ノスタルジィ』に結びつくとは思いませんでした。今日の『ふたり』の画面の中に、『花筐』の原作本が置いてあったりとか、色々細かい仕掛けがありました。別に後々に『花筐』を作るとか知らないんですが、そうやって辻褄が合っていくんだなと」

観客から
「千津子の部屋に置いてあった人形の笑い声がすごく耳障りでした。あの笑い声が千津子の不在を笑っているのかなと思ったんですが、監督から人形についての説明とかがあったのであればお伺いしたいです」

大林さん
「あの人形、まだ倉庫にあるんですよ」

石田さん
「ほんとに笑うんだっけ?」

大林さん
「もちろん笑い声はエフェクトですけれども、実加が話しかけるとものすごい声で笑うというのは当時、声をかけると、動くお花とかが流行っていて。そういうアクセントにして、千津子さんの不在というか、1人語りのところの相手役というかそんな感じで置いていたかなと思うんです。監督はああいうの好きですよね。入れていいものやら、いらないのやらというところを過剰に足していってしまうという、すごい足し算の演出。足し算の方なので、どんどん、どんどん足していく、その中の1つだったんじゃないかなと思うんですよね」

観客から
「実加が窓際の方からでんぐり返りで降りるところにカセットデッキがあったんですよ。だから、頭打たなかったかな、大丈夫かなって思ってしまったんですが、実際にやられている立場として怖くはなかったんですか」

石田さん
「そうですね。実際、あの部屋は散らかっていて、本当に足の踏み場もないように美術さんが作ってくださって、 本当に大変だったと思います。実際気をつけて歩いてねというようなご指示はありました。 でも、芝居している時はぶつかっていても痛さとか感じないんですよね。結構な高さですよね。お姉ちゃんの写真がガーンと落ちてくるところも、きっと頭にぶつかっていたりするかなと思いますが、そういうのは全然記憶にないんですよね。 最初に実加が「どこじゃどこじゃどこじゃ」と言って、杖を持って楽譜を探しているんですが、あの時の体勢は衣装合わせの時にとっても体調が悪くて、 あんな風に前かがみで歩いていたんです。そうしたら、監督が「それ面白い」とおっしゃって、あの演出がついたと記憶しています。この映画、しかもほぼオールアフレコなんです。なので、台本に書いていることと毎日セリフが変わるんですね。 そして、さらにアフレコの時にまた変わっているんです。それはやっぱり監督が映画として1番いいお芝居や、いいタイミングで物事が進むように本番中でも「はい、目開けて」とか、「はい、ちょっと見てもらう」と監督がおっしゃっていたりしています。音に縛られずに芝居を優先して撮ってくださっていました。監督の作品はオールアフレコが多いですよね」

大林さん
「多いし、アフレコで本当に足すし、最近は字幕も足すし、 詩も入れるしみたいな。足し算、掛け算かなと時々思うんです。ひかりちゃん、この間富田靖子ちゃんと3人でご飯を食べた時も靖子ちゃんが「当時は監督は何も教えてくれなくて、全部自分でやったと思っていたけど、大間違いだった。すいませんでした」と言っていて。 「はい、こうやって。人差し指、中指、薬指、吐いて、止めて」と全部言ってるんだよね、カメラのそばで。そういう現場音が実は録音テープに残っていて。それも今どうしましょうと思っています」

石田さん
「そうなんです。そういう現場なんです」

後藤さん
「最後に皆様に一言ずつお願いいたします」

大林さん
「私は2人のように姉妹も兄弟もいなくて、 1人っ子なんです。なので、本当にこの映画を見る度に、兄弟がいたらな、姉妹がいたらなって思うんです。 でもまあ、こうやって父はちょっと長いロケハンに行ってしまっていて、なかなかその映画が大作のようで帰ってこないんですけれども、残された映画が私にとっては家族というか、兄弟姉妹なので、ほんとにちっとも寂しくなくて、映画を観るといつもそこに父はいるので、 今日いらしたお客様たちも大林作品を見る時にそうやって監督のことを、気配を感じてもらえたら嬉しいなと思います。今もあの人は寂しがり屋なので、 こうやって話していたら絶対その辺にいるんです(笑)。ぜひ映画を観た時に思い出して、語り継いでいただけたら、それが私たち映画を作ってきた家族にとって最大の喜びです」

石田さん
「皆様、今日は本当に楽しい時間をありがとうございました。そして私にとって本当に特別な作品を皆さんと一緒に観ることができて、本当に幸せでした。今千茱萸さんがおっしゃいましたが、 監督はロケハンに出ているようでお姿が見えないから寂しいんですが、でもきっとまた楽しいことを、素晴らしい作品のことを考えているだろうなと思います。 『海辺の映画館-キネマの玉手箱』の試写の時に、監督にお会いしたのが最後だったんですけれども、その時に「ひかりで1本新作を考えているから、スケジュールを空けておきなさい」という風におっしゃってくださった言葉が、 私は本当に忘れられなくて。監督に会えるその日まで、ちゃんとスケジュールを空けて、そして少しでも成長して監督にお会いできるように頑張っていきたいと思います。監督がいつもおっしゃっていた「映画は過去を変えることはできないけれど、未来を変えることができる」その一員になれたらこんなに幸せなことはないと。それに向かって精進していきたいと思います。ここのところ、世界は本当に悲しいことが続いていて、監督があんなに命をかけて、平和の大切さ、戦争は絶対に起こしちゃいけないということを伝えてくださっていたのに、本当にニュースを見るのも辛い日々がもう何年も続いていて、監督も悲しんでいるだろうなと思います。私たちは表現者として、映画や作品を通して未来を変えていくことができるんだということも伝えていきたいと思います。どうぞ皆さんのお力もお貸しください。本当に今日はありがとうございました。どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。ありがとうございました」

hutari7

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