
一歩を踏み出すまでの時間(映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』)
一人はさびしいけれど楽な時もある。
誰かと行動することは気を遣うし、疲れる。
誰とも関わらなければ自分のいやなところを人に見せなくていい。
そう思ったことはないだろうか。
自分の中の"嫌い"はいっぱいある。
それはいつできたのだろう?
小さい頃、周りから言われて気にするようになってしまったこともある。
失敗して次も失敗するのが怖くて出来なくなったものもある。
苦手意識が強くなり、嫌いなことを避けて通り始める小学生時代。
自分が出来ないことを出来る人達が輝いて見えた。
ひたすら頑張っても出来ないから自分の中の"嫌い"が私は減ることはなかった。そしてどんどん自分を嫌いになる。
自分の中の嫌いが邪魔をして不安になってやりたいことに踏み出せない。一歩前に踏み出せないのはなぜなのか。
自分にも周りにもむしゃくしゃした気持ちを抱えていた。自分の気持ちに収拾がつけられず生きていた思春期の頃。
映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』にはあの頃の私がいる。
高校一年生の大島志乃は上手く話せない。みんなの前で自分の思いを話したいのに思いが募れば募るほどつまってしまう。言葉が声として出てこない。ばかにされたくないから一人で過ごす。でも心のどこかで友達がほしいとも思っている。
そんな志乃に話すことにこだわらず思いを伝える手段を教えてくれたクラスメイトの岡崎加代。加代は音楽が大好きだ。ギターを弾きながら気持ちよく歌を歌いたい。だけど音痴であることを自分自身の耳が知っている。自分のコンプレックスを抱えて悶々としていた二人が求め合うかのように友達になった。
話せないが美しい歌声を持つ志乃と歌は苦手だが音楽が好きな加代は二人で音楽を始める。
漫画のシーンをリアルに表現
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は『ぼくは麻里のなか』、『スイートプールサイド』など話題作の出版、映像化が続いている漫画家・押見修平の作品。青春時代のひりっとした部分もしっかりと描く本作は漫画家・押見修平の自身の経験を題材にした作品だ。様々な思いを抱える若き少女、少年の姿を捉える。
冒頭の新しいクラスでの初めての自己紹介。自分の名前をみんなの前で言うことに激しく不安を覚える志乃の視線は漫画で描かれたものをそのままカメラアングルで表現してくれている。明るくない教室に志乃の思いが投影されているようだ。
今まで一人だった不器用な志乃に出来た大切な友達・加代。一人では踏み出せなかった一歩が二人なら二歩も三歩も踏み出せる。キラキラとした志乃と加代の夏休み、夏の終わりに突然二人の輪に入ってくる菊地。菊地が入ってきたことで崩れていく2人の関係。一方的に自分の殻にこもる志乃を外へ連れ出そうとする加代。お互いの思いが伝わらないもどかしさ、それをどう表現していくかがクライマックスの二人の見せ場でもある。
同郷タッグで作り上げた作品
監督は今回が商業映画監督デビューとなる湯浅弘章。映画の助監督やドラマの演出を手掛けてきた。脚本は『百円の恋』の足立紳。共に鳥取県出身の先輩後輩で今回はがっちりタッグを組む。『14の夜』で少年たちの思いを勢いよく描いて監督デビューも果たした足立は後輩の依頼を受け、原作のどの部分を取り上げながら映画オリジナルの部分を出していくかを話し合い、脚本を書き上げた。湯浅監督は菊地のキャラクターに足立の色が濃く出ていると語っている。
これからが期待される若手俳優陣が揃う
キャスティング優先も多い映画界だが、湯浅監督は作品のイメージに合う若手をオーディションで選ぶことにこだわった。
志乃役は南沙良。『幼な子われらに生まれ』で映画デビュー。人気ティーンズ雑誌『nicola』のモデルも務めている。加代役は蒔田彩珠。14歳とは思えない演技力を『三度目の殺人』で披露した彼女を湯浅監督が指名。志乃役のオーディションに一緒に同席してもらい、監督は加代にぴったり合う志乃が現れるのを何度もオーディションを重ね待ち続けたという。南さんも、蒔田さんもその当時共に14才。同い年の二人が同級生を演じることになった。志乃と加代の間に空気を読めず入ってくる菊地強には萩原利久。ドラマ『あなたには帰る家がある』の息子役は記憶に新しい。繊細な演技を見せてくれる3人はこれからの注目株だ。
吃音という単語をあえて出さない
志乃が吃音であるということは一切語られていない。吃音という言葉は原作にもなく、湯浅監督も使っていない。吃音がどんなものなのかを知ってほしいという映画ではない。自分の中のコンプレックスとどう折り合いをつけるか、葛藤しながらもがきながら生きる若者たちを描いた映画だ。
若い頃の葛藤を忘れることはない。嫌いな自分を克服した人も嫌いな自分とまだ付き合っている人も。この映画には共感できることが沢山あるだろう。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は現在公開中。
http://www.bitters.co.jp/shinochan/
東海地区では7月21日より愛知 伏見ミリオン座、9月8日より三重 進富座で公開。
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