
波の立たない人生などない(映画『凪待ち』)
凪とは…。風がやんで波がおさまり、海が静まること。
心という海が静かになる日はいつになったら来るのだろうか。
白石和彌監督の新作は現代の東北。恋人の父親と同居するために川崎から石巻に移り住むことになった決していい大人とは言えない、いやむしろダメな男の話だ。
あらすじ
川崎で競輪に明け暮れていた木野本は恋人の亜弓とその娘・美波と共に亜弓の実家の東北石巻に引っ越してきた。亜弓の父・勝美は末期がんだというのに、まだ海へ漁に出掛けている。
木野本は石巻で働き始めるが、亜弓のある一言をきっかけに喧嘩別れした後、亜弓が何者かに殺害されてしまう。後悔の念が木野本を襲う中、会社でも濡れ衣を着せられ大暴れし、自暴自棄になればなるほどギャンブルにのめりこむ。一緒に暮らしてきた美波とも、籍を入れていなかったため一緒に住めないと周りから言われてしまう。
様々な思いが木野本の中に蓄積されていき…。
石巻の今を舞台に展開される白石ワールド
劇中に出てくる防波堤は無機質に高く白く立ちはだかる。この壁が津波を忘れさせない。
復興しているとはいえ、まだ津波の傷跡が消えたわけではない。だが人々は石巻で生きている。
漁業、そしてそれを支える製氷業の回復。様々な場所で働き、家族と共に石巻で暮らしていこうとする人々。今の石巻を様々な部分から映しだす。
そしてここに、石巻に来て新たな生活を始めようとした男がいる。男は簡単に心機一転生き方を変えられるだろうか。
誰もが持つ心の弱さを主人公・木野本郁男は見せてくれる。
恋人が殺され、犯人と疑われ。郁男の後悔と懺悔がもたらす負の感情は破壊と暴力を生み出していく。
ダメ男すぎる男の魅力
木野本郁男は石巻にやってきて、人生を揺さぶられる。
自分が背負わなければいけない現実からひたすら逃げてきたのかもしれない。逃げて逃げてなんとなく生きていた人生は、石巻に来たことで、荒れ出し、郁男は波にもまれていく。
観れば観るほどダメな奴だと思う。ただ私はこの男を嫌いにはなれない。
亜弓のお金を持ち出したりするのは悪いが、心に一本太い芯があって、納得がいかないととことん突き詰める。ギャンブルには走るが間違ったことは大嫌いなところがあり、自分でおかしいと言えるその強さが私は好きだ。それが行き過ぎる部分があるのが郁男のダメなところなのだが、なかなかはっきり言いたいことがあっても言わない、言えなくなっている今の時代。ダメな男ではあるが、つい見入ってしまうかっこよさがあるのが白石マジック。
主演は香取慎吾。
白石ワールドに香取慎吾が入っていくとどうなるのか。それは観る前からとても興味があった。
凪の状態で現場に行き、周りの役者陣との芝居という波に揺られながらどっぷりとこの『凪待ち』の世界に入っていったのではないか。
ここにいるのは香取慎吾ではない。香取慎吾という個性はどこにも見えない。
女に頼り、ギャンブルにのめりこんで生きてきた木野本郁男がそこにはいる。
いつもの陽の空気は完全に消え去り、陰の空気を漂わせている。
主人公を囲む人々
白石作品には大切な柱がある。家族、信念、けじめ。今回もそれは様々な形で描かれていく。
郁男の周りには郁男を見捨てられず助けてくれる人もいれば、郁男を慕う人もいる。川崎で知り合った競輪仲間、石巻で会社を紹介してくれる亜弓(西田尚美)の知人の小野寺(リリー・フランキー)、そして亜弓の父・勝美(吉澤健)、亜弓の娘・美波(恒松祐里)。
美波の実の父親である村上(音尾琢真)とのやりとり、血の繋がらない美波との5年の間に作られてきた関係性。わずかしか一緒に過ごしていない亜弓の父・勝美が郁男へ寄せる思い。
血縁関係が大切なものなのか、一緒にいたいと思う人が大切なのか。家族とは。守るべきものとは。改めて考えさせられる。人と人との関係性は見えない絆でつながっている。その何かを感じずにはいられない。
波の立たない人生などない。木野本郁男という風が新たな波を起こす。風が静かになり、凪がやってくるのはいつなのか。
来たとしても、それは一瞬かもしれない。
映画『凪待ち』 http://nagimachi.com/ は6月28日(金)から全国公開。
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