
『この世界の片隅に』岐阜CINEXトークショー レポート
2017/05/19
岐阜新聞映画部 CINEX映画塾 第10回『この世界の片隅に』
いい作品を岐阜で上映したい。
岐阜新聞映画部の琴線に触れた作品、
岐阜にゆかりのある方の作品を上映し、トークショーも行われる企画
CINEX映画塾。
今回で第10回目。
昨年上映されたアニメ3作品が岐阜県を舞台にしているが
(『君の名は。』『聲の形』『ルドルフとイッパイアッテナ』)
今回上映される『この世界の片隅に』の舞台は広島だ。
岐阜にゆかりはないように見えるが…実はあった。
作品のプロデューサー真木太郎さんが岐阜県高山市出身だったのだ。
それもあって今回の岐阜新聞映画部の企画は2日間にわたった。
映画館が現在はなくなってしまった高山市でも上映を行うことにした。
さらに真木プロデューサーだけではなく片渕須直監督、
すずさんの声を担当したのんさんも参加が決定した。
片渕監督のトークであれば他の場所でも行われているがのんさんも一緒に
というイベントは多くない。
貴重なイベントということもあり岐阜CINEXの席は2回とも完売。
入れ替えの際には7階へ向かうエレベーターを待つ観客の行列が
1階入口でも出来ていた。
何度も見ているリピーターも多く、製作者、出演者の思いを
直接聞きたくてやって来た方も多くいたようだ。
1回目のトークショーの一部分をリポートする。
(上映内容に触れているためネタバレ注意)
のん×片渕須直監督×真木太郎プロデューサー トークショー
進行は真木プロデューサーが行いつつ、クロストーク。
真木プロデューサー(以後真木P)
「40分という時間は長い時間ですけど、片渕さんが話す中では短い時間だと思います。」
片渕監督
「今日で『この世界の片隅に』の全国公開開始から183日目です。
365日の半分を越えました。半年間どこかで上映されています。
上映が終わった映画館、まだ上映してくれている映画館、
これから始まる映画館とでリレーで繋いでくれている感じですね。
映画を作っていてよかったなあと思うのは
僕らが映画を作っただけではデータでしかないんです。
それらを映しだしてくれる映画館がないとダメなんです。
そういう映画館の方々と一緒になってやってこられた、
自分だけでは成し遂げられないことができているのが嬉しいです。
岐阜CINEXでは今日から始まるということでありがとうございます。」

CINEXは岐阜の老舗映画館
真木P
「僕たちが作った映画と見てくださった皆さんが対話をしている感じですね。」
のんさん
「こんなに長い期間上映できているっていうことはすごいことだと思っています。
岐阜に来たのは初めてですが、この映画がきっかけで岐阜に来られて嬉しいです。」
聞いた自分たちが伝えたい。次の世代へ。
真木P
「すずさんが生きたのは70年前なんですよね、再現するのに色々やりましたね。」
片渕監督
「壇上の3人は誰も生きていないです。…真木さんも生きてないですよね?(笑)」
真木P
「生きてないです(笑)。僕の父がすずさんと同級生です。」
片渕監督
「うちの父も国民学校の6年生で戦争中を知っていて。
九州にいたんです。長崎の原爆のキノコ雲が上がるのを見て。
しばらくして衝撃波が来てガラスがガタガタ揺れたと言ってたんです。
僕らは体験をしていないけど戦争を経験した人たちから直接話を聞いている世代です。
原作者のこうの史代さんは僕より8つ年下で、戦争を直接知らないけど
こんなことがあったと伝えられる最後の世代になっているんだと思うんです。」

CINEX窓口で購入した方はこのチケット
片渕監督
「直接聞いている世代から知らない世代へ伝えないといけないんじゃないかと
思っています。こうのさんは『この世界の片隅に』を描き、
僕はそれを読んで映画にしました。映画を作るために色々話を聞く上で
親に聞いたからその話をそのまま映画にすればよいというわけではなくて
その話をした父親母親はその当時どこにいたのかも理解しながら話を聞かないと
いつまでたっても大人になれないなあと思ったんです。
まだ話は聞けるので色々な話を一から聞いて
聞くだけではすまないのであの時はどうだったのか自分達でつかみ直す。
うちの母親はすすざんの10歳下で、戦争が終わった年は10歳でしたが
映画に出てくるようにかまどの火の番をしたり、
国民学校の体操をしたと今までにない話を聞かせてくれました。
考えてみたら当たり前すぎてそれまでしゃべらなかったんです。
戦争の頃の話というと空襲の話はしてくれていましたが
毎日やっていたことは当たり前すぎて話してくれなかったみたいなんです。
そういうことが聞けるようになって僕はよかったですね。」
すずさんの誕生日は今月
真木P
「のんさんはすずさんと68歳違いますね。」
片渕さん
「ちなみに、こうのさんに聞いたんですけどすずさんは5月生まれだそうなので
今頃92歳のお誕生日の前後です。」
のんさん
「そうですね、バースデーですね(笑)」
誰かのために何かをして成長する
真木P
「のんさんのすずさんはすずさんそのものだった気がします。
すずさんの日常についてどう思いますか?」
のんさん
「ご飯を食べて幸せになれる。みんなのために作る楽しさを感じる。
普通の生活ってこんなによかったんだって。
この作品に関わる前まではご飯を作ることに楽しみを見いだせなかったんです。
ポテチを食べることが楽しみで(笑)
どんな時代でも生活が楽しいと思えるすずさんを皆さんに伝えることが出来てよかったです。」
真木P
「誰かのために何かをするってことが大事ということをこの作品で感じると思うんですが。」
片渕監督
「誰かのために何かをするようになってすずさんは大人になっていくんです。
戦争中だからというのもありますが、家族のために動くようになった。
家族を見渡すようになって大人に階段をのぼっていく。
嫁いだ先で家族じゃない人たちと家族になっていくんです。
すずさんは自分であの道を獲得したんだと思います。
そうせざるを得なかったかもしれないけれど
あの時お嫁に行かない道も選べたはずだし、絵を描くことも選べた。
気の迷いかもしれない、言われた通りにしただけかもしれませんが
お嫁に行った先で家事を一人で背負うことを選んだんです。
まずはじめの天秤棒を持って担いで井戸の水を運ぶ。あれやったことあります?
実際やってみたんですけどすぐには出来ないですよ。
あれを自分で持ち上げた時にすずさんが自分で選んだ道なんですね。」
真木P
「すずさんの明るい性格をのんさんはどう演じようと思いましたか?」
のんさん
「お嫁に行くときもすずさんはぼうっとしているんですが
そんなところもチャーミングに見えればいいなと考えていました。
監督もおっしゃったように自分ですずさんは道を決めたと思うんです。
台本を読み始めた時は流されて生きている人なのかなと感じたんですが
終戦の時の感情をぶつけるシーンの力強さに実は
自分の意思がはっきりしている人だったんだなと。
単純な感覚にも共感しました。
ご飯をつくることに試行錯誤することを楽しんだりするところも。
すずさんの感覚を大切にしていこうと思いました。」
人は誰しも痛みを隠している
片渕監督
「本番前に色々質問してきてくれたけど一番初めの質問は覚えていますか?」
のんさん
「あ、それが聞きたかったんですか?(笑)」
片渕監督
「『すずさんはにこにこしているけどすずさんが抱えている痛みってなんですか?』ですよね。」
のんさん
「はい。演技を勉強していく上で学んだことがありまして。
‟人間は誰しもペイン(痛み)を持っていてそれを隠すためにポジティブになる”
すずさんにもそういうペインがあるのではないかと考えてそれを監督に質問しました。」
片渕監督
「自分の才能を発揮しない道を選んだのがすずさんの痛みだと思います。
家族のために家事をやることを前向きに決めたんじゃなくって
今できるのはこれだからこうしよう。
絵を描くことで広島に別れを告げたり、覚悟を決めている。
何か別のものになるために決めた。それがペインなんじゃないですかね。
絵を描けばみんなが幸せになるということに気がつかないことも弱点なんですね。」

トークショー後に
左:真木太郎プロデューサー 右;片渕須直監督
当時をできる限り再現する
真木P
「70年前の再現の苦労を最後に聞かせてください。」
片渕監督
「3時間ぐらいかかりますけどいいですか?(笑)
はじめこうのさんの漫画を読んでいても原爆の前の街を描いているって
わからなかったんです。地理もわからなかったですし。広島のどこなのかわからなかったんです。
何度か読んでいくうちに、ここは広島の平和記念公園だとわかりました。
戦後、平和記念公園のあたりを当時のまま残すことを広島の人たちは選んだわけです。
すずさんがおつかいに行った街がそうなんだと気がついて理解した瞬間に
えらいものを背負い込んでしまったなと思いました。
これはおろそかにしたら怒られる。誰に怒られるかはわかんないんですけど
自分の中の誰かかもしれないけど怒られるなと。
すずさんが生きていた広島を、誰かの拠り所になっている
今は何もないその場所を全力で調べあげようと決めました。」
すずさんがおつかいにでた幼少期の広島、戦前の頃の広島の再現の話を
このあと片渕監督が語ったが想像以上の苦労を感じた話だった。
ここは劇場に来た皆さんだけが聞いた話にさせていただきたい。
そして撮影禁止と言われていたイベントで
SNSで宣伝してくださるなら…と撮影がOKになり大撮影会が行われた。
『この世界の片隅に』の上映はまだまだ続いていく。
岐阜CINEXでも6月2日まで上映中。
何度見ても発見がある映画なのでリピート鑑賞もお薦めしたい。
全国の上映情報は公式サイト(http://konosekai.jp/)で確認を。
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