40年という時代を超えて。時は動き出す(映画『兄消える』)
兄弟というのは愛すべき肉親である。弟にとって兄は一番身近な人生の先輩であり、見本でもあり、教訓である。
クリント・イーストウッドの『運び屋』をはじめ、最近は高齢のベテラン俳優が輝く映画が世界的に増えている。日本でも兄弟を演じる主演の役者の年を足すと162歳、周りの出演者も高齢層という映画が公開される。『兄消える』だ。
100才まで生きた父親を看取った76才独身の鉄男の元に40年前家を飛び出した兄・金之助が訳ありに見える若い女を連れて帰ってくる。そこから3人の共同生活が始まる。そしていつも変わらなかった鉄男の静かな生活が動き始める。
40年ぶりに帰って来た金之助を演じるのは86歳のベテラン俳優・柳澤愼一。ドラマ『奥様は魔女』のダーリン役はあまりにも有名だが、今回この作品を遺作にしてもいいという思いで、普段使っている杖を手放し、全身全霊で金之助を演じた。金之助の登場シーンから、それまでの静かな鉄工所の空気が一瞬にして変わる。40年という間の人生経験が豊富な金之助が飄々と鉄男に言う一言には私たちの心にも響く名言が揃う。
ずっと独身を貫いてきた真面目な弟・鉄男はこちらもまたベテラン俳優、味のある脇役として立ち位置を確固たるものとしている高橋長英が演じる。借金と付き合いながらの鉄工所経営と、老いた親の面倒をみることで精一杯だった人生、やりたいこともやらずに年老いてしまった鉄男の感情を繊細に演じる。
監督は西川信廣。今回が初監督となる西川監督は100本以上の舞台演出をしてきた演劇界の重鎮で、自身が所属する文学座の演出だけでなく、外部でも様々な作品を演出してきた。プロデューサーからのオファーを受け、自身のエピソードを絡めたストーリーを映画にした。脚本は第40回川端康成文学賞、第38回野間文芸新人賞受賞作家で西川監督の教え子でもある戌井昭人。変わらない毎日の中の少しずつの変化を捉えた脚本に仕上げた。西川監督が今回力を入れているのはやはり役者の芝居だ。カット割りはあまり多くなく長回しのシーンが多いので、演劇のように会話と会話の間に流れる感情までもが見えてくる。熟練の役者達の演技に唸らざるを得ない。

兄弟を囲む役者陣には文学座の錚々たる役者陣が揃い、どのシーンにもリアルな会話が生まれている。友人たちとのトークは子どもの頃からの関係性が変わらないことがわかる軽妙なトークだ。
また2人の間に漂う訳ありな感じの女性・樹里には土屋貴子が扮しているが、独特な存在感で、鉄男との関係を作っていく。何もかも自分でやってきた鉄男が誰かに家事を手伝ってもらえるということに心が動いているのがわかる。

ロケ地は長野県上田市。昭和の色が残る懐かしい街並みと美しい千曲川はノスタルジックな雰囲気だけではなく、ここに住む人達の今を映し出す。美しい風景は彼らの生活の一部。そんな景色が切り取られ、昭和、平成を生きた人々の生活感をしっかりと出してくる。
故郷から去り、自由に生きていたはずの兄の知らなかった40年を知った時、今まで静かに葛藤し続けてきた弟の心がどう動くのか。柳澤愼一と高橋長英という二人の役者の芝居が最後まで面白い。

金之助が「虫の知らせ」で帰ってきたのは一体誰のための虫の知らせだったのか。最後まで見ると冒頭に感じたのとは違う人に向けての虫の知らせだったのだと気が付くだろう。
映画『兄消える』 https://ani-kieru.net/ は現在全国順次上映中。東海地区では6月1日から名演小劇場で公開。
映画『兄消える』
柳澤愼一・高橋長英
土屋貴子 / 金内喜久夫 たかお鷹 原康義 坂口芳貞 / 新橋耐子 /雪村いづみ(特別出演) 江守徹(特別出演)
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