
自分の心の中を見たら(『ミュージカル ジキル&ハイド』)
2018/04/02
ミュージカル『ジキル&ハイド』
2018年3月25日(日) 13:00 名古屋公演千秋楽 愛知芸術劇場大ホール
キャスト(敬称略)
ヘンリー・ジキル(エドワード・ハイド) : 石丸幹二
ルーシー・ハリス : 笹本玲奈
エマ・カルー : 宮澤エマ
ジョン・アターソン : 田代万里生 他
演出 : 山田和也
脚本・詞 : レスリー・ブリカッス
音楽 : フランク・ワイルドホーン
上演台本・詞 : 高平哲郎
3年ぶりのジキル&ハイドになる。
私がミュージカル『ジキル&ハイド』を初めて観たのは2007年
鹿賀丈史版ファイナルの最後の公演を見た
芝居とは生物だ。日々変わる。だから面白い。擦りきれるほど聞いたCDとは違う良さを改めて知ったのを覚えている
フランク・ワイルドホーンの曲は歌い手泣かせの難曲が多いが、耳に残る名曲ばかりだ
石丸幹二主演でリニューアルされた初演(2012年)は残念ながら観ていない。3年前今日と同じ愛知県芸術劇場大ホールでの再演からの鑑賞だ
知らない方のためにあらすじを紹介しておく
あらすじ
医師ヘンリー・ジキルは病の父を救うために人間の善と悪の部分を分けることが出来る薬を開発し、それを人体実験したいと所属する病院の時の権力者達が集まる最高理事会で懇願するがそれはやってはならないことだと取り合ってもらえない
友人のアターソンに連れられてやって来た街の場末のいかがわしい店『どん底で出会った娼婦ルーシーの一言で自分を実験台にすることを思い付いたジキルは研究室で自ら薬を飲む。突然の激痛にのたうち回った後、目を覚ましたのはエドワード・ハイド
「自由だ!」と叫ぶハイドはジキルの知らぬところで街中を驚かせる大事件を起こしていく。
自分の中に悪を見たジキルは悩みながらハイドを消え去る薬を調合しようと研究するが…
『ジキル博士とハイド氏』とは設定が違っている。だが付け足されている設定がこのミュージカルには必要不可欠
3年前とキャストが変わるとやっぱり変わるというのがまず率直な感想だった。演出も変わった。それはやはりキャストが変わることによってのいい変化だ
前回、最高理事会のシーンでかなり怒りながらハイドの一端を見せるような演技をしていた石丸幹二は今回は我慢して心の中にストレスを溜めて行くようなそんな演技を見せていた。我慢に我慢を重ねて自分の心の中に怒りと欲望を抑え込んでいたジキルが善と悪を分離する薬を飲むことでハイドとしてそれを解放させる。ジキルがふつふつとしている分、ハイドの笑顔の残虐行動が恐い。今回は自由を求めるハイドが冴え渡っていた
善と悪を分ける薬というよりも抑え込まれていた欲望を解放させる薬と考えれば納得できる。感情を司る右脳が左脳の制御を振り切って暴走する。それを表しているかのようにジキルは右利きだがハイドは左利きだ。ジキルの薬は欲望を解放させると風貌をも変化させる薬だったと解釈すれば辻褄が合ってくる。だからこそハイドはジキルが気に入らないと思っている人間を手にかけていく。自分の中のハイドを知ってしまったジキルの心の動揺、ジキルとハイドが混ざる状態も後半は楽しめる
石丸幹二の歌唱は流石としか言えない。喉に負担をかけそうな大変な曲ばかりだが、今回ピッチがぶれることがほとんどなかった。そして2年前よりも確実に深みと広がりある声。声量がとにかくすごい
『知りたい』、『時が来た』は前回と歌い方を変えている部分があるがこれからを期待するジキルの思いは以前よりも伝わってくる。ブレスや溜めの位置を変えることで日本語の歌詞の意味が前より深くなっている。そして後半の見せ場『対決』。照明の変化とわずかな小節の中でジキルとハイドを曲調や拍子で変化させるオーケストラと一緒に歌い方で表現しなければいけない難しいシーンを見事に演じている
前回までエマを演じていた笹本玲奈がルーシー役。エマ役は自身も同じ名を持つ宮澤エマ。宮澤エマ演じるエマはジキルをしっかりと見守る婚約者。私のことも大切にしてと言い、マイペースなジキルを引っ張っている部分もある賢妻タイプ。それなのにとっても歌がソフト。裏声も地声もソフトに出す歌い方にジキルがエマを好きになった理由がわかる気がした母性が高いエマ。ラストシーン、周りを強い目でじっと睨む芝居が印象的だった
今回からエマの父・カルー卿が福井貴一になっているが、前回の今井清隆よりやっぱりソフトな感じで。エマ親子のジキルを温かく見守り度が前回より増している
ルーシーの衣装が今までになくセクシーで際どい。ちょっとプライドもあるが、笹本玲奈の可愛らしさがそこに加わってとても魅力的。自由になれない女性だが、言いたいことははっきり言う女性
ルーシーは他の男のように自分の体を求めないジキルにひかれている。突然現れて自分を傷つけた恐ろしい男のハイドに触られる感覚が怪我の手当てのためにジキルが自分に触れた感覚と同じことに気がついてしまう。ジキルと声が似ている上に感覚までもが似ているハイドから逃れられなくなるシーン(『罪な遊戯』)はなんとも官能的なシーンだ
常々自分はエマよりもどうしてもルーシーに感情移入してしまうタイプ。笹本玲奈の『私は誰』、『新たな生活』を聞いてこういう歌い方もあるのかとはっとした。楽譜通りではない気持ちの揺れ。それを感じることができる。ルーシーの女心が痛いほどよくわかる。だからこそこのあとのシーンが辛くなるわけだが…
ジキルのよき友人アターソンは田代万里生。ビジュアルをいつもとは随分イメージを変えて登場した。髭が新鮮だ
紳士と言える男は実はアターソンだと今回思った。どこまでもジキルを信じて力になる男。いい感じに気を抜くことを知っている善悪のバランスが非常に取れた人間と言ってもいい。事件から十数年後の語り部として登場するアターソン。実はどん底にジキルを連れて行き、ルーシーとジキルを出会わせてしまったり、「お前がボランティアになるなよ。」というある意味先を意味しそうなセリフを言っていたりする。(このセリフはそれとは違う意味も持っているが。)
石丸幹二との実年齢は相当あるが同級生にちゃんと見えていたし、今までの誰よりもジキルの友人らしかった。姿勢の良さに終始感動。『嘘の仮面』のセンターの佇まいが美しい。歌が少ないのがもったいない。気になる存在になった
安定のアンサンブルの皆さん。『嘘の仮面』と『事件、事件』がかっこよすぎる。パンフレットを買った方は香盤表が掲載されているのでご存じだと思うが少ない人数で何役もこなしている。そして外れない音程。外れないから不協和音的に作られた歌がバッチリ不協和音に聞こえてきて心地よく気持ち悪い部分もある(誉めているので悪しからず)
舞台装置に関しては毎回ジキルの研究室の大がかりなセットの美しさと1幕ラストの演出にワクワクする。『時が来た』の照明の美しさは後方席で確認できる。飲んだら絶対に毒なんじゃないかと思える研究室のあやしい赤や緑や青の液体もライトにあたって妙な美しさを醸し出す
『罪な遊戯』が強烈すぎて色々考えたこと
『罪な遊戯』。このシーン、今までの中で一番大人な世界だった。いやらしさがストレートな表現になっていた。ジキルを演じていた同じ人間が演じているのを忘れそうになるくらいハイドは目付きも手も舌の動きも自然にセクシーでいやらしい
『キャバレー』のMC、『パレード』の嘘の発言を再現したシーンでの猥雑なレオ・フランクという経験も経た石丸幹二からさらに魅力的なハイドが生まれているのだ。そしてハイドが恐いはずなのに求めてしまうルーシーの妖艶さも今までの中では最高。事後にさっと立ち去ってしまうハイドを見つめるルーシーの目はハイドを見ていたのかジキルを見ていたのか
ハイドがジキルの欲をすべて実行しているとするならスタート地点はどん底で会った時にルーシーが「お礼なら二人で遊んでよ。」とジキルに話したところから。どん底で『連れてきて』を歌うルーシーをジキルが見つめる目。今の言葉で言うなら『ガン見』の状態。自我をコントロールしている心の奥ではルーシーにジキルはひかれていたのではないかとも考えられる。
ハイドはジキルと別人ではない。ジキルの心の中でぐっと抑え込まれていた思いから生まれているのだからジキルが見たことを全て把握している
ハイドは『生きている』では「俺の名はエドワード・ハイド」と言っていたが、後半『対決』で「俺の名はジキルとハイド」と言っている。ジキルが見ていなかった全てをハイドは見ていたのかもしれない。ジキルはハイドを自分の一部というがハイドもジキルのことをそう思っている
だからハイドは、ルーシーを自分のものにしようとする。しかしルーシーの気持ちはジキルへ。ハイドのジキルに対する嫉妬心は高まるばかり。「あいつにあって俺にないものは何だ?」とハイドがジキルに嫉妬してルーシーに問う。思い通りにならなければ消す。ハイドは非常に単純明快だ。ジキルはハイドが次にどう動くかわかっていながらもハイドを抑えることができない。『罪な遊戯』~『新しい生活』~『対決』へと2幕は怒濤の展開だ
『ジキル&ハイド』は衣装にも非常に意味を感じる
小峰リリーの衣装は照明に当たると一層美しくなる。ルーシーの衣装が再演される度に違っている。今回は笹本玲奈の足の露出度が高い。どこか人間の欲の部分で生きている人間たちは赤を基調とした衣装。ジキルはハイドを産み出す前までは黒を基調とする衣装だがハイドが出現してからは少しずつ赤色の服を身に付け始める。白のマントに赤色ベストのハイド。結婚式のシーンにグレーのフォーマルで現れたジキルはハイドの心も両方持ち合わせているかのようだ
ラストシーン、そのセリフは
最後のシーン、ハイドに変化したジキルの顔はジキルのままだったと解釈して観てしまう
「ジョン、俺を自由にしてくれ。」
これはジキルの台詞かハイドの台詞か。ジキルは俺とは言わない。だがハイドもアターソンをジョンとは呼ばなかった。自由を失ったハイドは死に自由を求めたのか。しかし声はジキル
ジキルとハイドが融合していたのか。最後にエマを襲ったのはハイドかジキルか
観る人によって答えは分かれるだろう
この作品の舞台は1880年代のイギリスだが今の社会とそんなに状況は変わらない。ジキルとハイドという二人を描くことで信じてくれる人の存在の大切さ、抑制されたものが爆発した時の怖さ、徹底的に非難される辛さと挫折感。様々な状況を見てとれる
私たちは善と悪両方を持ち合わせているからこそこの作品から色々なことを考える。焦燥感漂うジキルには普段我慢している自分を投影し、自由に生きるハイドを羨ましくさえ思う。自由になることは憧れだ。だが制限のない、決まりのない世界には平穏はないのも事実なのだ
矛盾のある世の中で折り合いをつけながら生きていく。それが人生かもしれない
ミュージカルを観てここまでいろんなことを考える作品はない
描ききれていない部分への妄想が尽きない
また再演があることを祈りたい
この公演を持ってしばらく(来年の4月まで)改修のため閉館する芸術劇場大ホールそして中日劇場もこの日、3月25日をもって閉館した
「また何かの公演でここに戻ってきます!」
とカーテンコールで石丸幹二が挨拶
『ジキル&ハイド』は中日劇場で鹿賀版を、ここで石丸版を観ている。しばらく寂しくなるが来年以降を待ちたい
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